選択した道

選んだ道が正解だったかどうか分からない

こんな言葉をよく耳にするかと思います。
私は「正解」の道はあるとも言えるし、無いとも言えると考えています。

しかし、「正解にする」のは出来ると思います。
その道で良かったと自分がしていくことは可能なのです。

例えば間違った道を選んでいたとしても、辿り着くその先がとても幸せであったならば…。
そう、これは「正しい道を選んだ」ということなのです。
遠回りして、苦労もいっぱいしたけど、そこに辿り着くには必要な経験であった。

後になってみないと分からない、じゃなくて、それを正解の道だった思えるような行動ができるかが問題です。

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