昨日の続きです。
昨日の投稿?ってなった方は、良かったら見てやってください。
私は誰であろうと、助けを求めて来られたら、頼って来られたら、どうにか助けて差し上げたいと思っていました。
そんな人の中で、ある一部の人は時間も労力も必要です。理解に及ばないというかなんというか…。とにかく、どうにかしてあげたいけど、大変なのも事実です。他のお客様との差が出てしまわないかと、葛藤もしておりました。
しかし、前回、学校と捉えるという表現を思いついたことで、長年の悩みにやっと結論が出たというところです。
この人たちがこの先、良い方向になるとしても、私の言ってることが理解できないのは事実です。
それはきっと、スピリチュアルな側面でいけば、まだ幼稚園とかそんなものなのでしょう。
自分の狭い了見で生き、思い込みが激しく、差別や偏見を強く持ち、自分の幸せだけを祈る。
こんな人たちも気づきを持つことで世の中の平和に繋がるのであればと思って頑張ってきましたが、とにかく伝わらないし理解しようともしない。自分ばかりが不幸と考える。
私の言葉など馬の耳に念仏です。
で、思ったのが、幼稚園児が大学の授業を受けているもんなんだってことです。
私は自分が幼稚園児を相手でも手を差し伸べる努力をしていましたが、大学生のことも気になって仕方なかったですし、本来はそちらに力をいれるべきだったのです。
幼稚園児には保母さんが必要。小学生には小学校の先生。ちゃんと役割があります。
私の役割は、保母さんでも小学校の先生でも無いということです。
先日、天使からのメッセージももらっています。
光の存在であり続けないといけないと。
闇に生きる人たちに気を遣わず、人としてダメなことはこのブログでも書いていこうと思います。
人としてダメなことは幼稚園でしっかり学んでもらいたいです。
私は自分がいるステージで苦しんでいる方を救っていこうと思います。
私の時間も有限です。多くの苦しむ人たちを救うために、少数の人に対して膨大な時間や労力を使ってはいけないと学びました。
相手も私の言ってることが理解できないでしょうし、それであれば時間の無駄になります。
先日、同業者の先生が言っていたこと。その先生の師匠のお言葉らしいですが、「人は欲の出しどころを間違えてはいけない」と。
闇に生きる人たちはとても欲が強く、自分のことだけが可愛い。他者を蔑むくせに、そこから恩恵を受けようとする。
いくら丁寧な言葉を並べても、欲や身勝手さは隠せません。
それが自分であると認めたうえで、正して欲しいと思います。
それは私の身勝手な望みではなく、世の中の平和のための願いなのです。
